見えて、見えないもの

吉田遥香

Yoshida Haruka

山本研究室

インスタレーションその他

日常に残る震災の爪痕

 東日本大震災から14年経ち、過去の災害として少しずつ風化していく記憶の中で、今も日常生活の近くに「数字」として残る記録・爪痕があります。

 福島県には「モニタリングポスト」という空間放射線量測定装置が県内約3600ヶ所に設置されています。主に学校・公園などの人や子どもが集まる場所に設置されており、人々の生活の近くにあります。福島県外にも設置されているものですが、その数は福島県に比べて少なく、モニタリングポスト自体を知らないという人も多いかもしれません。

 福島県浜通りで育った自分は、震災当初から設置されているモニタリングポストという存在がある生活に14年を通してなんとなく慣れてしまっているように感じていました。そんな自分に向き合うための作品です。
 そしてこの作品を見た人に、モニタリングポストという存在、今の福島県について知ってもらいたいと思いました。

 この作品にあなたはなにを見て、なにを感じますか?
 数字以外に見えるものは、なんですか?

〈作品のきっかけについて〉
 私は福島県浜通りで育ち、小学2年生の頃、東日本大震災を経験しました。高校生の頃、学校活動の一環で津波や原発事故の影響が大きい地域へ行った時、誰もいない町や漁港を見て、衝撃を受けました。見えない放射線に脅かされる生活がすぐ近くにあることを実感したのと同時に、自分の無知さも知り、当時部活動で新聞づくりをしていた私はこれを記録として残していく人が居ないといけないのだなと強く感じました。卒制のテーマにモニタリングポストを取り上げようと思った理由の1つです。

 もう1つ理由をあげるとすれば、認知です。当時小学生の私でも、おぼろげではありますが「福島出身であること」が他県のひとから敬遠され、差別される理由になっているのを感じていました。エマーソンが『恐怖は常に、無知から産まれる』と言ったように、放射性物質・放射線について一般の人は詳しく知らないため、私自身もですが未知のものに対しての恐怖があったと思いました。私はあの頃足りなかったものは「認知」であると考えたため、自分の作品で福島の今の現状であったり、モニタリングポストというものの認知拡大ができたらと思いました。


〈感想〉
 県内約3600か所に設置されているモニタリングポスト。小学生の頃は学校や公園、普段行く公共の場所によく置かれていた機械というイメージが大きく、年月が経つと、そこにあることも違和感がないように感じていました。毎日のニュースで各地の放射線量が発表され、町に行っても空間放射線量はリアルタイムで数字として見ることが出来る、そんな生活に慣れてしまったような自分がいました。
 放射線という見えないものが、数字として表示されることが「安全」と「安心」だと感じる人もいれば、「違和感」や「恐怖」、「不安」を覚える人もいると思います。
 今回の制作を通して、たくさんのものを見ました。賑わっている場所に行って嬉しい気持ちにもなりましたし、閑散とした場所に行って悲しい気持ちにもなりました。今の福島に向き合う機会にもなりました。この作品は等身大の私目線です。